よみがえる!中井の郷土資料 その3
富士山が描かれた掛け軸
初夢「富士山」が描かれた掛け軸
新春にちなみ、おめでたい富士山の描かれた掛け軸を紹介します。この郷土資料の肝は、絵画ではなく文字で富士山を表現している点です。
江戸時代に始まった富士山信仰は、多くの庶民の心を掴みました。地域単位で「講」というグループを組織し、富士山に登って祈りを捧げる集団、「富士講」として発展したのです。明治期以降は西洋文化が広まり、登山の考え方も多様となったことから、昭和初期ごろには講の数もずいぶん減ってしまったそうです。
中井町では富士講の一派である丸岩講が広がりましたが、そのきっかけの一つが富士講の先達(せんだつ=宗教者)でもあり、書家の素養があった富士玉産(何度か改名をしており、当初は大正玉産を名乗っていました)です。彼は、富士山がよく見えるという理由で、武州(埼玉県)から神奈川県山北町へ移住したようで、これを機に中井町でも盛んになったと考えられます。
この掛け軸は、富士講での祈りの際に使われました。心字富士とは、富士山のシルエットを「心」という字で表現したものです。富士玉産の書として知られており、力強い筆使いと、時を経て味わいのある美しさを感じます。銘(サイン)や年代記載はないのですが、富士講で権威のある言葉「参名藤開山」とあり、富士信仰の研究者・小林謙行さんが足柄地方丸岩講に現存する軸物として報告したものです。
そこかしこで美しい富士山を望むことができる中井町ならではの郷土資料だと思いませんか?
文・写真:槐真史(中井町教育委員会生涯学習参与)
監修:大野一郎(あつぎ郷土博物館学芸員)
更新日:2025年01月01日