ちょうちょう発し その21 2025年8月
80年目の8・15
戦後80年の8・15を迎えます。
正午に合わせ、保健福祉センターで中井町遺族会の皆さまと戦没者追悼式が行われます。
日清戦争以降、中井から出征し戦禍に倒れた230余柱をしのび、役場横の忠魂碑にお参りできます。
同日、江戸民具街道で当時の真空管ラジオで玉音放送を聞く集い、また、先立つ6日には、広島原爆投下の同刻に松本・泰翁寺で鐘を打ち、被爆者をはじめ戦争犠牲者の追悼と核兵器廃絶を願います。
あまたの犠牲と苦しみ、悲しみの上に、今日の私たちがあります。
戦後80年、国外は絶え間なく紛争にさらされ、国内にあっても平和と繁栄と一概に言えない状況を抱えつつ、平穏に暮らせる幸いを感謝し、8月は静かに思いを新たにします。
祖父は2度応召され、満州で終戦を迎え、8月8日対日参戦したソ連に捉えられ、約2年シベリアに抑留されます。
持ち帰った荷物の中に大きなスプーンがあり、錆びて黒ずんだそれは今も残っています。
残された家族は、東京大空襲で、家の前の府立三中(都立両国高校)に逃げ込みますが、火が移ったため、横十間川に逃れ、水を掛け合いながら生き延びます。
縁故疎開で茨城・土浦にいた父は、東京方面の空が真っ赤だったとよく話します。
昭和59年、わたしは千葉から上京し、その高校に通い始めます。
一帯が関東大震災でも空襲でも犠牲者が多数出たことを知り、関心を深める中、山田風太郎の『同日同刻ー太平洋戦争開戦の一日と終戦の十五日』という文庫本に衝撃を受けます。
指導者、軍人の行跡のみならず、作家の日記や民衆の手記により、1日1日が再現されていきます。
敗戦の15日間は2つの原爆、外地での惨状、国内の混乱がこれでもかと描かれ、胸が引き裂かれます。
一方、開戦の1日は、大半の人の「開戦止むなし、新たな時代が始まった」との興奮にも似た心情が描かれています。
この凄烈な対比に、自分もあの時代に放り込まれたら、どうなっていたかと、自分の考えや理解は吹き飛びました。
自分の中に揺らがないものをどう見出していくか、そう願いながら、日本近現代史から、非暴力平和主義を貫いたインドのガンジーに学ぶようになりました。
戦後80年、内外の動きや発言の中に新たな戦前を感じさせるものも少なくありません。
戦争を知らない者たちが大半になった今、あの暑い8月を『同日同刻』で辿りつつ、その継承と「過ちは繰返しませぬから」という覚悟を静かに強めています。
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更新日:2025年08月01日